プロフィール

特に誰も興味がないかもしれませんが、少しだけプロフィールを書いておきます。1番初めのブログでも少し触れてますが、今回は私の学生時代から就職、そして今に至るまでを簡単に書いてみますので、興味がある方だけご覧ください。

学生前期

野球にバスケットボールに勉強、そしてあらゆる習い事を経験してみたけど全てそこそこ。突出して何かに才能があるわけでもなく、決して下手でもなく。スポーツも初心者から初めても強豪校でそこそこレギュラーまで成れる、習い事もそこそこに出来るようになる、しかし大成するような事はない学生時代(笑)。

高校で進学校に進んだのはいいものの、エスカレーターでは文系の大学しか選択肢がないことに大学への興味がなくなり、かといってもっと勉強して理系の大学を目指すわけもなく、手っ取り早くプログラムの専門学校へ。今思えば、この選択が人生で1番正しかったのかも。

学生後期

当時Windows 95が日本に上陸したあたり、急速にインターネットが普及する中、システムエンジニアを目指し、専門学校でプログラムの勉強を専攻する。COBOL(プログラミング言語)を学び、次のプログラミング言語、C++(シープラスプラス)で私の脳内思考回路が追いついていかず、プロブラムへの興味は当時4号機全盛期だったパチスロに向けられ、日々、パチンコ屋に並ぶ日々。ユニバーサル、山佐、サミーなどパチスロ大手の企業就職を目論みるも、大卒しか応募さえできず、学歴社会の現実を知る。

就職氷河期

2021年令和となった今でも語りづがれるとしたら、「ゆとり世代」と「就職氷河期」。その就職氷河期真っ只中の私は、学年で1番賢い人間でさえも東京へ上京してからの就職を選ぶというかなり狭き門。同級生で私より勉強の出来た子達は、ヤマダ電機の販売員や、ソフトバンクのプロバイダの営業(今では大企業だがその当時は小さいプロバイダの一つだった)ぐらいしか選択肢がなく、すでにパチスロしかしてなかった私に就職先など見つかるわけがない。

上京

そこで思い立ったらすぐ行動、滋賀県の近江八幡に季節工(期間工)としてダイハツの工場に派遣されるも、新卒時期と重なっていたため、人材派遣会社を通して行った私は一か月半で、仕事もせずに給料だけもらい、故郷に強制送還されるのである(笑)。帰りに大阪の友人宅に遊びに寄ったのを機にそのまま大阪に居座り、部屋を決め仕事を探す。どうせ就職難だから、せっかくなら好きな事をしようと思い、バーテンダーの面接を受け続けるも14社落ちてしまう。

バーテンダー時代

仕事もお金もなくなった頃に、駄目元で受けた15社目、ナイト産業としてまずまずの大手企業の店長に、面接で気に入られ内定をもらう。

店長

ほな、来週から頼むわ!

UKパパ

はい、わかりました。ありがとうございます。

店長

あっ、ほんで「刈り上げ」にしてきてな!!

UKパパ

へ?「刈り上げ」と言いますと?

店長

当たり前やん。その髪型で接客が出来るかいなー。うちはホテルバーを目指してんねんから、綺麗に刈り上げして来てやーっ!

まさか大人になって刈り上げするなんて、、。耳にかかるぐらいの髪型でそこまで長くはなかったんですけど、お金もなく、背に腹はかえられぬということで、小学生ぶりの刈り上げで、バーテンダーデビューをすることに。といっても、下積みは長くホールの掃除、配膳、休みの日はお酒の勉強会、テイスティングなど。早く来ては氷を割らせてもらう練習をさせてもらい、カウンターに入る時にお辞儀を忘れて、先輩に蹴られたりと今では問題になることも普通な時代。

ようやくバーテンダーデビューをした頃にはもう3年ほどの月日が流れていて、これも先輩に言わせれば早い方だったみたいですが、大勢のお客様が注目するカウンターの中でシェーカーを振るのは、まさにスポットライトのステージに立ったような感覚で、今でも忘れられない。そこから、オーセンティックなバーから、もう少しゆるりとしたバーにお店を変え、お酒より喋しゃべりが専門のバーテンダーへとなっていくのです。

IT業界にカムバック

バーテンダー時代のことは、また機会があれば「ログ」カテゴリーに書くとして、バーテンダーとして6年程経ち、夜の業界も当時のような好景気や活気がなくなりつつあった頃、自身でお店を出して独立するという夢が実現出来そうもなくなったので、夜の業界をスパっと引退することに。

こう活字にしてみれば私の半生、挫折の連続というより、もはや挫折しか味わっていない(笑)。

夜を引退することで、次の仕事として真っ先に思い浮かんだのが、IT業界でした。それでもプログラマーは一旦、諦めているので、ITに関わる仕事をメインに探し出します。バーテンダーとして夜の業界で培ったトークスキルは、6年ほど前に14社も面接に落ちたことを忘れるぐらい、この時に面接を受けた数社、全てで内定をもらうことに成功し、GAFAMの下請け企業で2年程働きます。

続く。

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